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【体験談】会社員だった僕がフリーランスのWebデザイナーになるまでの話

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今年でフリーランスのWebデザイナーとして独立して3年目になります。

なんとかここまで続けられていますが、「まだまだ頑張らないと……」と日々思いながら過ごしています。

振り返ってみれば、社会人になりたてだった頃は独立してWebデザインのお仕事をしているなんて思ってもいませんでした。

まだまだ始まったばかりかもしれませんが、初心忘れるべからずということで自省も込めて、僕がフリーランスのWebデザイナーになるまでの話をここにまとめておこうと思います。

なぜWebデザイナーになろうと思ったのか

まずはなぜWebデザイナーになろうと思ったのかについて大まかにご紹介します。

ちなみに「フリーランスの」という枕詞がタイトルにはついていますが、それについては記事の最後の方で登場します。

僕がWebデザイナーになった理由は大きく分けて3つです。

Webデザイナーになった理由のイラスト説明図
  • デザインが好き
  • Web業界は魅力たっぷり
  • クリエイティブな人になりたい

前職の途中で僕はデザインが好きなんだと気づきました。そしてWeb業界は将来性のかたまりであり、魅力がたっぷり詰まっています。また、何か人の役に立つモノ・コトをつくり出せる人は素晴らしいと思い、自分もクリエイティブな人になりたいと思いました。

それぞれの理由についてさらに深掘りするのはまた別記事でやろうと思います。この3つの要素がかけ合わさっているWebデザイナーって素敵だと思いませんか?

さて、ここからは時系列に沿ってWebデザイナーになるまでの話を追っていきたいと思います。特に環境と心境の変化にフォーカスをしてまとめました。

デザインに興味を持った経緯

デザインコンセプトのイメージ画像

社会人になった当初はデザインには興味がなく……

僕は大学卒業後、岐阜県にある小売系のグループ企業へ入社しました。

商社的な役割を担っているグループ企業で、内部への販売も外部への販売も行なっている他には類を見ないユニークな会社です。

入社当初はOJTを経て、店舗備品や什器を取り扱う部署に配属されました。当時まだ未熟だった僕は仕事をこなすので精一杯でした。

この時点でまず将来Webデザイナーになっているとは考えてもいませんし、Webデザイナーになりたいとも思っていませんでした。

デザインに興味を持ったきっかけは部署異動

デザインに興味を持つようになった転機は部署異動です。

食品パッケージをメインに取り扱う部署に移動したことによって、パッケージデザイン、グラフィックデザインの領域にばんばん関わるようになったのです。

仕事でパッケージデザインに関わってるうちに段々とデザインの面白さに気づいていきました。

一つひとつのデザインに想いが込められていて、人の心を動かし行動も変える。食品パッケージの場合は食品表示という情報で消費者に必要な情報を伝える。

デザインの緻密な機能にとても興味を持ちました。

29歳のとき、自分のキャリアについてはじめて真面目に考える

食品パッケージをメインに取り扱う部署に移動したのは2016年のことで、それから会社を辞める2023年の1月までずっと同じ部署にいました。

仕事も面白く特に不満もあったわけではありませんが、この先ずっと同じ会社で働き続けるのだろうかという漠然とした悩みもありました。

このあたりの考えは説明すると長くなりますし、自分の胸の内にだけ秘めておきたい部分もあるので割愛しますが、色々と考えた結果別の場所で挑戦してみようという考えに至りました。

違う場所というのは、もちろん「デザイナー」です。

デザインなら夢中で仕事ができると感じていました。

Webデザイナーを知る

デザインに関する知識は仕事や自主学習で培っている

会社勤めの頃は自分でデザインを描いていたわけではありません。それでも多少の知識がないと仕事はできないと思い、経験や自主学習でデザインの知識を割と吸収していました。

ただ、どのデザイナーになるかは当時決まっていたわけではありません。

最も身近で関わっていたのはグラフィックデザイナーの方々であり、仕事の内情も知っていましたが、果たして自分にグラフィックデザイナーができるのか?という疑問もありました。

Webデザイナーという職種を知る

Webデザイナーという職業を知ったのは、デザイナーの種類を調べていた時です。

他にもインテリアデザイナーやファッションデザイナー、ゲームデザイナーなど様々なデザイナーがいますが、Webデザイナーに妙に惹かれていました。

なぜだろうと考えた時、さらに昔のことを思い出しました。

そういえば昔々、ホムペをつくるのが好きでした

当時の文化にあやかって、あえてホムペと書いています。

僕が中学生だった頃、ホームページを作るのが流行していました。特に記憶に残っているのは中学2年生の時ですね。

その頃、僕もFC2やハムスター島といったサービスを利用してホームページを作っていました。他にもいろいろなサービスがあったと思いますが、記憶が曖昧で思い出せません……。

当時ホームページを作っていたときは、拙いながらもHTMLやCSSでカスタマイズもしていました。それがWeb言語に初めて触れた瞬間であり、道のりは長くとも、結果としてWebデザイナーを選んだわけですからWebデザインの原体験ともいえます。

ただ、当時はWebデザインなんて発想はなく、デザインというよりもネットで他人と繋がれることに興味がありました。

チャットや掲示板を利用して友達や全く知らない人と交流をする。文字だけでの交流でしたが、家にいながらリアルタイムで誰かと情報をやり取りできるというライブ感に魅了されていたわけです。

このワクワク感を体が覚えていてWebデザインという響きに惹かれ、またこのワクワク感をしっかりと思い出したとき、Webデザイナーとしての人生が一気に頭を駆け巡りました。

もしかしてWebデザイナーってピッタリでは?

Webサイト制作は自分にとって楽しい、これは間違いありませんでした。しかし楽しいだけではビジネスとして成立はしません。

お金を稼ぐことのできる需要はどうかと考えて調べた結果、挑戦の価値があると判断をしました。

自分が楽しいと感じ夢中になれることで、お金を稼ぐチャンスがある。Webデザイナーはもしたかしたら自分にぴったりかもしれないと思ったわけです。いわば仮説ですね。

そして、学習や腕試しを経てWebデザイナーとなり、今も走り続けることができています。仮説は間違っていませんでした。

フリーランスという働き方を選ぶ

砂漠を歩く男性

働き方が自分に合っている

Webデザイナーになるとは言っても、働くためには下記の3通りがあります。

  • Web制作会社に就職する
  • インハウスデザイナーになる
  • フリーランスになる

この中から僕はフリーランスを選択しました。

ではなぜそのような選択をしたかというと、会社に縛られない働き方をしてみたかったからです。

サラリーマンであれば、働く時間・給料・通勤場所など、あらゆる要素で制限が発生します。ただコロナ禍以降、リモートワークの普及によって働く場所の縛りは緩くなりました。

もちろんそれは良いことであると思うのですがその反面、仕事がより一層生活の中に入り込んできた気がします。

仕事がより生活の中に入り込みながらも、サラリーマンであることによる制限も同時に存在する。好きな仕事なら生活に入り込んできても嫌ではない、だけど制限があるのは窮屈だ。

それならフリーランスになって、四六時中やっていても苦にならないことを仕事にしようと考えました。

スキルの分散化が大切になってくる

働き方の多様化に伴い、スキルの分散化が大切になってくると思います。

人材確保は各企業にとって大きな課題ですが、同じ会社でずっと働き続けるという価値観が低くなりつつあるため、これまでと同じ雇用形態では厳しい部分もあります。

そうなると自社で人材を雇い入れるよりも、できるところは外部のスキルを活用するという手法も増えてくると思います。

特にWeb開発はスキルの分散化の対象になりやすいのではないでしょうか。

さいごに

フリーランスのWebデザイナーとして働き始めて今年で3年目に突入しましたが、この働き方を選択して本当に良かったです。

自分でクライアントを獲得していくことの難しさ、全て自分の責任になるなど、厳しい部分もあります。それでも全て自分の行動次第という自由さは全てを凌駕します。

学んだことを活かすかどうか自分次第、限られた人生の中で何をどうやっていくか自分次第という自由さをよりダイレクトに感じることができるのです。

そんな世界に生きてみたいとは思いませんか?